うん!
劇場稽古でスウィッチはいり、悪友の舞台「海の子ども」を観て気合いがはいり、、、、
だがエンジンが始動してない、、、だったのですが、やっとエンジン動き出しました。
本番1ヶ月前をきっての稽古、いい感じです。
しんどいしんどいと感じていた、片手で人形を差し上げ立ち上がる動作。
何がしんどかったん?という感じで、こなしてますが、これが本番身体って奴で、その後が怖いんですけれど、良いんです、これで。本番立てます!!
夏はよないな〜。
暑いと身体がゆるんで柔らかい。
アップに1時間半かかり。
少し前は、エンジンかからず、アップの後ダウン、みたいな稽古日もあったのだけど、この頃は!
一汗かいて水分補給して、除湿を入れて扇風機をかけて、、、。稽古開始です。
こんなに何回もやって来た作品だけど、まだ発見がある。
やり残していたきたことが見つかる。
稽古が楽しい。
でもさすがに、百回ノック系の稽古は控えている。
次の日、使い物にならないから。
ゆめひな美千香ちゃんのツイッター書き込みに、人形を遣いながら泣いてしまう、というのがありました。私も人形を遣いながらわんわん泣いてしまうことがあります。理由の判る時もあるけれど、なぜ今泣けた?という時も多い。
今日は稽古を終えてダウンをしている時に急に泣き出してビックリしてしまいました。
でも理由は判りました。
「涯なし」が「ハッピーエンドレス」だった2007年。
ペトル・マターセクさんに呼ばれて、チェコ、プラハ・カドリエンナーレ(通称PQ、国際舞台美術展)の人形劇ブースで、渡辺数憲さんの人形制作WSのオープニングでこの作品を演じました。
始まったとたん何もかも忘れて演じていて終わって礼をした時、オープンスペースだった舞台のお客さまがもの凄く増えていたのに驚き、その真ん中でペトルがニコニコしていました。
その顔が浮かんだから。
私がチェコへ勉強に行っていた時。
ペトルさんに良くされた質問。
「お前は何をしたいのだ。何者なのだ。」「私は人形遣い、、、」
ペトルは美術家、ヨゼフは演出家。
私は何一つ自分を紹介できなかった。
だから、ペトルが飯田に来ると判った時、飯田で「半月」を演じることにかけた。
ミッドナイトという枠で人形劇場でやった。
終わって、ペトルがステージに来てくれた。
私はステージの上だった。膝をついて彼に聞いた。
「私は何もの?」
彼は「グレートパペティア」と答えてくれた。
それは、始まってすぐに席を立つ人がいる舞台だったから、グレートなわけはないけれど、
人形遣いだと言ってもらえた。
そしてPQ07の笑顔。
いくつもいくつも彼の顔は思い出せるけれど、このふたつの顔を私は忘れない。
ペトル・マターセクさんが、心から私を人形遣いだと感じてくれた顔を私は忘れない。
7月25日に永眠されました。
天才逝く。
時代の終わり。
彼のいる時代に彼と共いる時間のあったことに、深く感謝します。