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「再演に向けて」黒谷都


再演に向けて

3.11震災の後、およそ全ての人々が何をなせば良いのか途方に暮れた。舞台表現者は殊更「現実的に役立つ何か」に役立たないことを今やって良いのか、と自問せざるを得なかった。私らは明日の判らなさ故に遥か先を見つめようとし、関わる4人の繋がりだけを拠り所にまさしく途方に暮れていた。

 人形遣い、モノ遣いを名乗る私らは、確かな身体感覚としてナニモノかと繋がる瞬間を知っており「死の側から生を光り輝かせる」ことを生業とする。だが「演劇」「劇場」というシステムに組み込まれた現在の私らは、「遣う」ことをもって祈ることさえカタチでしかないことを思い知るしかなかった。それでも「劇場」で「遣う」ことを試みたのが、2012年初演の「モノ語り ◇ 水仙月の四日」であった。

 直面した自然の脅威は、物語世界の持つ甘やかなベールを嫌が応にも引きはがし、それ故に宮沢賢治の表象をより露わにした。その読み解きが、直面している事象に物語世界を提示できる唯一の道筋であろうと模索した。我らの描く「モノ語り 」は、現実に寄添えたのか?

 3年の月日が経ち、不明の明日は自然への畏怖から人口にずれ込み、関わる面子も変わっている。「オマエ、この3年をどう過ごした?」前向き姿勢が良いとは限らず、なす術もなかった者が無力だった訳ではない。「ワタシは畏れと向き合ったか?」あの時突きつけられた絶交状を再びモノ語れるのか、あっという間に忘れてしまうヒトと向き合い、なぜ宮沢賢治作品だったのだろうと問い返す。

 「役にたたない」のだ。具体的に役に立たないことへの、何もなし得ない事を無力としたくない事への、贖罪を求めたワタシを知る。

 ならせめて「モノ語り」をして無力に寄添い、忘れてはならない自然からの伝言を愚直に繰り返す「モノ語りべ」となって、オマエもワタシも未だ今も生きる女6人。賢治さんに問うのではなく、無力な先達と相語りながら再演に臨もう。

                                        黒谷都

写真は2016/01/26キラリ✩ふじみにて。劇場仕込み初日、舞台を見つめる演出家とふたりの美術家

(客席で陰干し中の雪狼たち…)


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