2017年、新しい1年が始まりました。
昨年はずっと、かけ違ったボタンをはずそうとしているような、はずさせまいとするような、別のところへかけ変えようとしているような、その別なところがまた間違っているような、そんな不安を感じながら過ごしました。
今年は、いつも穏やかに揺らいでいるような良きところへ落ち着けそうな予感がしています。 新年、新春、新生。とても軽やかな始まりです。
さて、早速のご案内は『夜長姫と耳男』公演です。
もう35年くらい昔。故岡本芳一さんと一緒に演じた作品を無性にやりたくなりまして、孤高の役者さんと慕う坂本長利さんに語って頂き、夜長姫人形を遣うことにしました。
人形は、渡辺数憲さんの新作です。
時系列をバラバラにして瞬間を繋いで作劇するのが常なのですが、今回は耳男の独白に近い小説を1行目から最終行まで語ります。(素読みで2時間を越えるのでカットはしました。上演時間は1時間15分前後を予定しています。)坂本さんの声は、言葉の意味を身体の? 心の? 奥深いところに波動で届けているように思えてならないのです。心を通わすには不首尾の言葉というモノに疲れてしまった私は、あろうことか、この声と共演したくなりました。
「朗読と人形」という納まりから落っこちて、時間と空間の揺りかごに「声と言葉と人と人形」それらモノを乗せてみます。モノ遣い 塚田次実の参与に助けられて、おののきながら『言霊語り モノ語り』に臨んでおります。
私の、ほんの少しだけ今までと違う試み、どうぞ、観にいらしてくださいませ。
新年良き日
genre:Gray 利己的物体と奉仕的肉体によるグロテスク
黒谷 都
私が幼いころ、父はいつも仕事から帰ってくると、そのまま車で芝居の稽古に出掛けていきました。父の芝居を観に行きましたし、酔っ払いが大声で話す打ち上げに訳もわからず参加したりもしました。
母は講釈師ですので、家で稽古をしている横で私は寝ていました。あの声の横でよく寝られたものだと思います。
そんな言葉をつかう人たちに縁があったのにも関わらず、自分はその道に行こうとは思いませんでした。 発語のない「モノの言葉」を拾い、それと共にいたいと思うようになりました。
そして「モノ遣い」と名乗るようになりました。
しかしここ数年、自分が台詞を言う機会を得て「言葉をつかう」とはどのようなことかと思う日があります。
私にとってその興味は、幼いころの記憶と繋がりがあり、今なぜそれを思い出したのか、、、それは素晴らしい言葉のつかい手、坂本長利さんとご一緒できるチャンスを頂き、勉強してこい‼︎と喜ぶ親の顔が浮かんだからかもしれません。
更に今回、モノのいのちとは何か、モノの言葉をどう聞くかを教えてくれた、人形遣い黒谷都と、 モノ遣いとして私は向かい合います。
長く時間を共にしてきましたが、人形遣いとモノ遣い、二人での出演は初めてです。
気を引き締め向かいたいと思います。
渡辺数憲さんの人形、舞台美術の中で
語りと、人形と「夜長姫と耳男」の世界がどう紡がれてゆくのか。
ぜひ、足をお運び頂けますようお願い申し上げます。
劇場にて心よりお待ちしております
塚田次実
